埴輪 胡坐し 合掌する男子

はにわ あぐらしがっしょうするだんし

綿貫観音山古墳と綿貫古墳群

わたぬきかんのんやまこふんとわたぬきこふんぐん

綿貫観音山古墳がある一帯は、現在では「綿貫古墳群」として知られている。 かつて13,000基を超える古墳が存在したとされる群馬県地域であるが、半径400m圏内に墳丘長100mを前後する大型前方後円墳4基(普賢寺裏古墳・不動山古墳・岩鼻二子山古墳(湮滅)・綿貫観音山古墳)も造り続けられた古墳群は極め...

この場所のエピソード
綿貫観音山古墳の発掘調査

昭和40(1965)年3月。群馬県立博物館(当時。富岡市所在)は水田と桑畑が広がる景観の中に大きく横たわるように存在していた古墳の墳丘測量調査を実施した。その結果、大型の前方後円墳が、後円部の一部が削平されつつも、良好な形状を保って残存していることが明らかになった。 それから3年後の昭和43(19...

東アジアの中の綿貫観音山古墳

6世紀後半の東アジアは激動の社会であった。 南北朝時代にあたる中国では、南朝と北朝の対立が続いており、当時南朝では陳の王朝が成立し、北朝では北斉と北周が競合していた。一方、三国時代にあたる朝鮮半島では、高句麗・百済・新羅が鼎立していた。また、朝鮮半島南部には小国からなる加耶があったが、562年に新...

副葬品の種類と意義

綿貫観音山古墳の横穴式石室内から発見された副葬品は、豪華で極めて充実した内容を示している。その理由として、石室内が後世の盗掘等に全く遭遇しなかったことがあげられる。と同時に、この古墳に関わる勢力が、この時期の上毛野地域(現在のほぼ群馬県全域を含む)、さらには東国における屈指の豪族であったとことが重要...

埴輪の種類と樹立の意味

綿貫観音山古墳の埴輪は、種類・量とも極めて豊富なことが最大の特徴である。種類としては、円筒埴輪(含む朝顔形)と形象埴輪(家・器財・人物・動物)がある。 樹立場所は、後円部から前方部にかけての墳頂部と墳丘第1段上面(基壇面)である。墳頂部では家形埴輪で後円部・前方部の両方から複数出土しており、加えて...

古墳の構築プロセス

古墳は、古墳時代における最高水準の土木建造物であり、一定のプロセスを経て、築造されました。

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